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こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
新幹線をデザインする仕事 「スケッチ」で語る仕事の流儀
福田 哲夫 著
(SBクリエイティブ)
新幹線300系、700系、N700系をはじめとする新幹線車両の開発プロジェクトに携わってこられたインダストリアルデザイナーによる著書です。あの独特の形の先頭部を持つ新幹線車両をデザインした人です。
製品を開発するに際しては、技術面を担当する部隊とデザインを担当する部隊とを置いている企業が、特に大手企業には多いかと思います。
私は以前から、後者の部隊の仕事について興味を持っていました。というのは、製品のデザインに関しては考えるべき要素が膨大であり、突き詰めて考え出すと収集が付かないのではないかと思っており、それらの考慮すべき要素に対してどのように折り合いを付けてデザインを生み出すのか疑問に思っていたのです。
この本は、著者がこれまでの仕事の現場において、どのような発想で、どのようなプロセスを経て製品のデザインを行ってきたか、そして、技術面を担当する部隊との折り合いをどのように付けてきたのかが書かれています。
特に、技術との関係では、折り合いを付けるというよりも、技術的課題を技術とデザインの両面から解決してきたことがよく分かります。
高速走行する新幹線の場合、空気抵抗を低減させる、揺れを減少させる、音を減らす、車両重量を適正化する、部品点数を少なくするなど、多くの課題があり、それらを解決した上で、さらに乗客が車外の風景を楽しめるなどの快適性を高められるようなデザインが考案されてきたようです。
課題の解決に際しては、技術的なアプローチからの解決案がまず検討されますが、そこには限界もあります。そのようなときに、まったく異なる視点というか発想からスタートするデザイン的なアプローチによる解決案が案外成功することがあります。
そして、デザイン面からのアイデアが技術的な検証を経て製品に反映され、世の中にデビューしたのが新幹線車両なのです。新幹線車両には、膨大な技術的なアイデアやデザイン的なアイデアが凝縮されています。
そのような目で新幹線の車内を見回すと、面白い発見ができます。
通常は目に入らないような細部にまで工夫が凝らされており、それらが総合的に私たちの快適な旅をサポートしているのだと思うと、人間の仕事の尊さを実感します。
竜宮城と七夕さま
浅田 次郎 著
(小学館)
私のもっとも好きな作家、浅田次郎氏によるエッセイ集のご紹介です。
浅田氏の著書については、過去に「プリズンホテル」「勇気凛々ルリの色」を紹介しました。
誇張ではなく、浅田氏の著書は、一作品を除いて全て読んでいます。大好きです。
標記の本は、某航空会社の機内誌に掲載中のエッセイを加筆・修正して出版されたものらしいです。そのため、旅の話題が多く出てきます。
20年くらい前から読み始めた浅田作品ですが、氏もとうとう還暦を越えられたようです。
ラスベガスに行く話は、本誌以外にも度々登場しますが、今もラスベガス通いを元気になさっているようです。
「勇気凛々・・」を書かれていた頃には、それこそ寝る間もないくらい原稿の締め切りに追われながら、それでも僅かな時間を作り出してでもラスベガスへ飛び、疲れた脳をリフレッシュさせている様子がよく表れていました。
それから20年、すっかり大作家になられ、落ち着いてきたかにも思えますが、いやはや、ラスベガスでのリフレッシュは欠かさないようです。
本誌を読んでいて感じたのですが、文章や思考のレベルというか、格というか、そのようなものが格段に上がっているのです。
「勇気凛々」では、これから上昇する勢いだとか、苦労を積み重ねた男の持つ独特のセンスだとか、そういったものがにじみ出ており、強烈な感動や笑いをもたらしてくれました。
これとは異なり、本誌では勢いのようなものは影を潜め、代わって思考の奥深さや観察眼の鋭さなど、一流作家らしい、落ち着いた感動や笑いを味わうことができるのです。
「勇気凛々」では、銭湯をこよなく愛する氏がマナーを心得ない若者に激怒するエピソードが出てきますが、本誌での氏は、よもや激怒するようなことはしません。代わりに、時代の移ろいや銭湯文化の行く末などに思いを巡らせ、独特のユーモアを交えて話を締めくくります。
読み終わった後は、浅ちゃんは偉大な小説家になったのだなあとしみじみ思いました。20年も読み続けていると、何だか他人の気がしなくなります。
もちろん、知り合いでもなければ会ったこともない方です。でも、エッセイや小説を通じて氏の人間性が何となく分かった気になっているため、親戚の伯父さんのように錯覚してしまいます。
このエッセイを書いている途中で、相談の電話が入りました。どうやら急を要する模様。
これより本業に頭を切り換えることにします。
ベスト・エッセイ
日本文藝家協会 編
(光村図書)
毎年出版されているベスト・エッセイの2015年版を読みました。
小説家、劇作家、詩人、医師、研究者など、様々なジャンルで活躍されている方々が新聞や雑誌などに寄稿したエッセイの中から、編集委員により選択されたものが掲載されています。
とりとめのない日常のことやニュース、さらには世の中の深淵に迫るものまで、ほんとうに色々なエッセイが詰め込まれており、飽きることなく一気に読んでしまいました。肩の力を抜いて気楽に読めるものから大いに考えさせられるものまで盛り込まれているため、楽しみ方も色々です。
そして、さすがにベストエッセイです。上記のように話題も論調も様々ではありますが、各寄稿者が持っている「ものの見方」には、やはり光り輝くような冴えがあるように思います。とりとめのない日常の出来事を書くところから始まるエッセイであれ、寄稿者の視点を通じて描かれる物語の中には、センスというのか才能というのか分かりませんが、読者に「ほー、なるほど」と言わしめる何かが盛り込まれています。
文章は、それを書く者の能力の程度を明らかにします。当然のことですが、それは怖いことでもあります。こうしてここに書いている私の能力も、読む人に対してさらけ出されるのですから。
このエッセイ集の帯には、編集委員の一人である藤沢周氏の文が書かれています。
(以下、引用)
渋み、深み、洒脱、コク・・・・。
紅顔の美文も、老練の達文も、
いい顔したエッセイは、
生きる喜びを教えてくれる。
珠玉の味わいを
また一篇、さらに一篇。
(引用終わり)
まったくそのとおりのエッセイ集でした。
女性が活躍する会社
大久保幸夫、石原直子(著)
(日本経済新聞出版社)
最近の流行りに乗っかってみたように見えますが、そうではありません。
私は商工会議所に加入しており、その中のとある委員会に所属しています。この委員会が今年、「雇用」をテーマにして様々な研究や議論を行うことになるため、様々な参考書を読んでいるところです。
女性の会社における活用というのは、何も今に始まるものではありません。
その昔、男女雇用機会均等法ができた頃に始まり、平成不況、リーマンショックなど、その時々に応じて浮上していた問題です。
今回も、少子高齢化という現状における一つの打開策として、官民ともどもこのテーマについて大いに議論しているようです。
この本、たいへん面白い本ですが、特に良かったのは、問題点に素直に切り込んでいったところです。
このような記述があります。
企業の採用担当者たちの共通の意見として、「採用段階で能力だけに着目して採用するならば、新人は女性が圧倒的多数になってしまう。」といわれている。それほど女性の方が男性よりも優秀な人が多い。にもかかわらず、管理職は男性が圧倒的に多くなるのは、新人から管理職になるまでの過程で、結果的に男性にとって有利な状況ができているからである。
20代の頃を思い出してみても、自分より優秀な女子の多かったこと多かったこと・・・。
この本は、その当然の現実を着実に踏まえた上で、問題点を指摘し、そして優秀な女性が管理職、経営者に進めるような仕組みを作るヒントを示しています。
私のいる業界においても、女性弁理士が皆優秀であるとまでは思いませんが、優秀な弁理士を集めたら、おそらく男性より女性の方が多いでしょう。
洞察力、分析力、他人と協力して仕事を進める能力、精神力、さらには謙虚さなどにおいて、女性弁理士は男性弁理士に比べて勝っていると思います。
弁理士は自由度が割と高い職業なので、女性弁理士は結婚、出産等を経ても継続して仕事を続けられますが、企業の場合には難しい状況があるのでしょう。
この本で示された仕組みが全て正解であるとは思いませんが、納得できることが多かったように思います。大胆な発想の転換が求められているように思います。
あい 永遠に在り
高田 郁 著
(角川春樹事務所)
2013年に出版された、少し前の本です。
高田郁氏の作品は、本作が2作目です。初めて読んだのは「あきない世傳 金と銀」で、大阪天満界隈の商家で繰り広げられる物語でした。その本についても、後日ご紹介したいと思います。
さて、この本の主人公である「あい」は、幕末期から明治にかけて活躍した医師関寛斎の妻で、生涯を寛斎のために尽くして生きた人です。
主人公は、妻であり母でもある一人の女性であり、物語の中では、女性の視点からのものの考え方が丁寧に描かれています。
読んでいると、次はこういう展開になるか、とか、ここで主人公はこう考えるのだろうな、とか、つい自分の視点から見た先読みをしてしまうことがあります。
しかし、そのような先読みは男性のものの見方によるものであり、往々にして裏切られました。それがとても新鮮であり、まったく退屈することなく一気に読んでしまいました。
また、この物語には、あいと寛斎の清潔で清々しい生き方が描かれており、一貫して清らかな雰囲気が流れています。読む者の心に清々しさを残してくれます。
合戦ものでもなく、謀略やスリルがあるものでもありませんが、このような淡々としており、それでいて簡素な美しさのある物語も良いものだと思います。
このように思うのは、年をとったからかもしれません。