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こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
地理から見た信長・秀吉・家康の戦略
足利 健亮 著
(創元社)
久しぶりの歴史考察です。
歴史地理学ともいわれるような研究領域を開拓した著者の作です。
皆さんがご存じのように、織田信長は滋賀県の琵琶湖に面した安土山に安土城を築きました。水運の利を生かすことができ、また、京都への移動も船を使って時間短縮できるというメリットがありました。
しかし、私も登ったことがあるのですが、安土山はけっして急峻な山ではなく、岡のような低い山です。敵に攻められて籠城するとした場合、防御力はけっして高いものではありません。
琵琶湖岸には、ほかに観音寺山があり、信長が攻め滅ぼした六角氏の観音寺山城がありました。観音寺山は安土山とは異なり、ある程度の高さのある急峻な山です。防御という点では安土よりこちらを選ぶということもあり得たはずです。
しかし、観音寺山は急峻であるが故、船を城域内に接岸させるのに不向きだったようです。
著者によると、信長には安土城籠城などという発想はまったく無く、それよりも琵琶湖の水運をフルに活用でき、入るにも出るにも便利である点を重視したということです。
まさに天下人の発想だと思います。支配者の城には多くの人々が訪れます。また、出征などにより軍団を発することもあります。いずれにしても、信長の城は外に対して開かれたものであって、攻撃に対して籠城することを想定した城ではなかったということが言えそうです。
残念ながら安土城は信長の死後、すぐに焼失してしまい、後世にその威容を見せてはくれませんでした。
信長の話ばかりになってしまいましたが、まあいいでしょう。戦国武将にとって、地勢的な問題は現在の私たちが考える以上に重要な問題だったのでしょう。
それぞれの置かれた状況に応じて戦う方策を考える。今も昔も変わらない基本だと思います。