[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
世界史を大きく動かした植物
稲垣 栄洋 著
(PHP研究所)
この本の著者は植物学者であり、大学農学部の先生です。
人類の歴史において植物がどのような影響を与えたのかを、具体的に教えてくれます。
内容について詳しくは書きませんが、人類の歴史は植物の歴史と言っても言い過ぎではなく、植物(とくに人間に食される植物)の進化や変異により、人類の歴史は形成されてきたということがよく分かります。
なぜオリエントやメソポタミアのように自然環境の厳しい地域において文明が生まれたのか、なぜイギリスは清にアヘンを輸出したのかといった壮大なテーマから、なぜ日本人は米とみそ汁が好きなのかというもの凄く身近なことまで、独特のユーモアも交えながら描かれています。
植物に起こった突然変異により、人類の文明が勃興したり、社会システムがガラッと変わったり。
人類は植物の手のひらの上で踊らされているかもしれないと考えさせられる一冊です。
ところでこの本、内容は深いのですが、その表現は平易であるため、小学生の子どもも興味を持って読んでいました。
強い地元企業をつくる
近藤 清人 著
(学芸出版社)
地域の再生が深刻な問題となっている我が国ですが、地域の経済を支える地元企業において、高齢化や大手との競争により存続すら危うくなっている現状を打破するヒントとなる本です。
著者は兵庫県の但馬ご出身のようで、自分の地元に起こっている問題に直面し、デザイン・コンサルタント業を通してどのような切り口で立ち向かっているかが記されています。
上記の本の中で一貫して主張されているのは、「解決策は企業自身の中にある」です。
つまり、最近になって創業されたベンチャーではなく、この本で扱っているのはこれまで地元経済を支えてきた中小企業たちです。これらの企業には、これまでの技術や経験、そして地元における顧客や信用があります。
このような企業自身が有している資源をどう使い、どのように道を切り開いていくのか、興味を引く話がたくさん登場します。
一時的な刺激策ではなく、これからさらに50年、100年を生き抜く企業になるためのヒントが数多く盛り込まれていました。
じつは私も田舎(といっては著者に失礼ですが)の出身でして、地元はやはり同じような問題に直面しています。自分が生まれ育った町が衰弱し、廃れていくのを見るのは悲しいものです。
自然の流れといってしまえばそれまでのことですが、やはり何とかならないかと思うことはあります。
生まれ育った地元というのは、私にとって多くのものが含まれているんですね。両親や親戚などの血縁、友人、恩師、思い出のある場所など、私を形成してきた重要なものがあるのです。
それらが残っているというのがどれ程ありがたいことか、この年になって分かるようになりました。
本題から大きく脱線しましたが、自分にできることなど微々たるものですが、それでもできることは何かあるはず、と思いながら、日々考えることがあります。
鬼神
矢野 隆 著
(中央公論新社)
久々の更新ですが、この頃はこれまで読んでこなかった新しい作家の作品を読み漁っています。
上記の本もその一つで、とても面白かったです。面白いし、歴史の作られ方というか事実の歪められ方がよく描かれています。
この著者の作品の特徴の一つとして、両者の正義というのが具体的に書かれているのです。
例えば上記の本では、源頼光とその家来達と、これに対する大江山に住む朱天とその仲間との戦の物語です。そして、朱天のほうは都の人間から酒呑童子という鬼としてみなされるようになります。
都の人間である源頼光も、大江山に住む朱天も、いずれも自己の生きる場所で自己の守るものを持って生きています。どちらが善でどちらが悪ということもありません。
善や悪というのは、後の人間(通常は戦いに勝った人間)が決めていくもので、あくまでそれは一方的な見方でしかないのだというのがよく分かります。
鬼が登場する物語や伝説も、冷静になって見てみると、結局は人間同士の利害の衝突の結果、正義になった側と「鬼」にされてしまった側ができ、そのような勝利者が正しいのだということを喧伝するための一つの方策であるということなのかもしれません。
ということは、鬼より怖いのはやはり人間?
射出成形大全
有方 広洋 著
(日刊工業新聞社)
プラスチック成形に関する基本的な解説書です。わけあって、成形技術に関する参考書を複数参照する機会がありました。それぞれに分かり易く解説されているのですが、ともすれば現場での作業における心得や金型の操作技術解説に流れてしまい、その業界とは縁のない人間にはよく分からないというものもありました。
その中で、上記の本が「広く、浅く」を徹底していたなという印象です。この本を読んでから、その他の本に書いてあったことの意味(技術的な位置づけ)が分かるようになりました。
私は初めての分野に関わる依頼を受けると、特許公報等の読み込みも行いますが、並行して基礎的な技術解説書も複数読みます。その上で、面談する際に不明な点を徹底的に専門家に聞きます。多くの弁理士が当然のように実践していることですが、私も勤務時代にそのように教えていただきました。
「(基本的な技術知識は頭に入れた上で)分からんところは徹底的に発明者に聞け。アホになってしっかり教えてもらえ。」と何度も教えられました。知ったふりをして稚拙な仕事をするよりは、アホになったつもりでしっかり話を聞き、完成度の高い仕事をする方が、依頼者の利益になります。そして、そのように仕事に取り組む姿勢が、「信頼」という形になって自分にも還元されます。
そういう、謂わばこの仕事にとって当然の常識を、当然のようにボスから教えてもらえた自分は幸せであると思っています。
書籍紹介からは大きく外れてしまいましたが、盆休み前の多忙な時期に、ふとそのようなことを思い出しました。
武士の成立
元木 泰雄 著
(吉川弘文館)
最近興味を持っていたことですが、明治の直前まで日本の政権を担当した武士という職業が、どのような経緯を経て出現したのか。これを詳細に解き明かした本を図書館で見つけました。
弁理士という職業も、いわゆる「士業」といわれることから、武士という職業と精神的に何かしら共通するものがあるのかとも思っていました。また、もっと根本的に、戦いを仕事とし、天下を支配するということに対して、憧れのようなものを持っていました。
この本では、武家による最初の政権である鎌倉幕府が成立するはるか前、律令時代にまでさかのぼって、武士の原形となる軍事官僚に始まり、戦闘を職業とする軍事貴族(兵の家)が出現し、鎌倉幕府成立当時における武士の形になってゆくまでの変遷が詳細に解説されています。
そして、それらがどのような時代背景の下で起こったのかがよく分かる説明がなされています。
そもそも戦闘を職業とする軍事貴族は、その名前のとおり貴族階級から分かれてきたもので、北方の脅威(蝦夷のこと)や大陸からの脅威(海賊など)からの防衛を目的として構成されていたようです。
軍事貴族が一般的な貴族とは別のものとみなされるようになってきた一因は、当時の日本では死を忌み嫌う考え方が出てきたことと、戦闘を仕事とするこのような階級が貴族社会からは畏れと共に嫌悪される対象であったことにあります。
貴族とはハッキリ別の職業として発展した武家は、自己の利権(利益)は自分の武力で守るという「自力救済」を基本として成立し、死を恐れない勇敢さや潔さなどを美徳とします。特に、死を意識しながら日々を生き、戦うという点で他のどの職業とも異なってきます。
読み進むにしたがい、たいへん気が重くなってきました。
ほのかな憧れの対象であった武士が、華々しさや美しさを持っている反面、もの凄く深い因業を有しているように思え、全く別世界の住人に見えてきたのです。
律令時代から明治に至るまで、1000年近く培われてきた独特の精神世界では、私たちとは全く異なる考え方や文化があるのでしょう。
これからは、安易に「士業」などと口にしないようにします。
武士というのはそんなに軽いものではないということが、よく分かった一冊です。