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こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
地理から見た信長・秀吉・家康の戦略
足利 健亮 著
(創元社)
久しぶりの歴史考察です。
歴史地理学ともいわれるような研究領域を開拓した著者の作です。
皆さんがご存じのように、織田信長は滋賀県の琵琶湖に面した安土山に安土城を築きました。水運の利を生かすことができ、また、京都への移動も船を使って時間短縮できるというメリットがありました。
しかし、私も登ったことがあるのですが、安土山はけっして急峻な山ではなく、岡のような低い山です。敵に攻められて籠城するとした場合、防御力はけっして高いものではありません。
琵琶湖岸には、ほかに観音寺山があり、信長が攻め滅ぼした六角氏の観音寺山城がありました。観音寺山は安土山とは異なり、ある程度の高さのある急峻な山です。防御という点では安土よりこちらを選ぶということもあり得たはずです。
しかし、観音寺山は急峻であるが故、船を城域内に接岸させるのに不向きだったようです。
著者によると、信長には安土城籠城などという発想はまったく無く、それよりも琵琶湖の水運をフルに活用でき、入るにも出るにも便利である点を重視したということです。
まさに天下人の発想だと思います。支配者の城には多くの人々が訪れます。また、出征などにより軍団を発することもあります。いずれにしても、信長の城は外に対して開かれたものであって、攻撃に対して籠城することを想定した城ではなかったということが言えそうです。
残念ながら安土城は信長の死後、すぐに焼失してしまい、後世にその威容を見せてはくれませんでした。
信長の話ばかりになってしまいましたが、まあいいでしょう。戦国武将にとって、地勢的な問題は現在の私たちが考える以上に重要な問題だったのでしょう。
それぞれの置かれた状況に応じて戦う方策を考える。今も昔も変わらない基本だと思います。
世界史を大きく動かした植物
稲垣 栄洋 著
(PHP研究所)
この本の著者は植物学者であり、大学農学部の先生です。
人類の歴史において植物がどのような影響を与えたのかを、具体的に教えてくれます。
内容について詳しくは書きませんが、人類の歴史は植物の歴史と言っても言い過ぎではなく、植物(とくに人間に食される植物)の進化や変異により、人類の歴史は形成されてきたということがよく分かります。
なぜオリエントやメソポタミアのように自然環境の厳しい地域において文明が生まれたのか、なぜイギリスは清にアヘンを輸出したのかといった壮大なテーマから、なぜ日本人は米とみそ汁が好きなのかというもの凄く身近なことまで、独特のユーモアも交えながら描かれています。
植物に起こった突然変異により、人類の文明が勃興したり、社会システムがガラッと変わったり。
人類は植物の手のひらの上で踊らされているかもしれないと考えさせられる一冊です。
ところでこの本、内容は深いのですが、その表現は平易であるため、小学生の子どもも興味を持って読んでいました。
武士の成立
元木 泰雄 著
(吉川弘文館)
最近興味を持っていたことですが、明治の直前まで日本の政権を担当した武士という職業が、どのような経緯を経て出現したのか。これを詳細に解き明かした本を図書館で見つけました。
弁理士という職業も、いわゆる「士業」といわれることから、武士という職業と精神的に何かしら共通するものがあるのかとも思っていました。また、もっと根本的に、戦いを仕事とし、天下を支配するということに対して、憧れのようなものを持っていました。
この本では、武家による最初の政権である鎌倉幕府が成立するはるか前、律令時代にまでさかのぼって、武士の原形となる軍事官僚に始まり、戦闘を職業とする軍事貴族(兵の家)が出現し、鎌倉幕府成立当時における武士の形になってゆくまでの変遷が詳細に解説されています。
そして、それらがどのような時代背景の下で起こったのかがよく分かる説明がなされています。
そもそも戦闘を職業とする軍事貴族は、その名前のとおり貴族階級から分かれてきたもので、北方の脅威(蝦夷のこと)や大陸からの脅威(海賊など)からの防衛を目的として構成されていたようです。
軍事貴族が一般的な貴族とは別のものとみなされるようになってきた一因は、当時の日本では死を忌み嫌う考え方が出てきたことと、戦闘を仕事とするこのような階級が貴族社会からは畏れと共に嫌悪される対象であったことにあります。
貴族とはハッキリ別の職業として発展した武家は、自己の利権(利益)は自分の武力で守るという「自力救済」を基本として成立し、死を恐れない勇敢さや潔さなどを美徳とします。特に、死を意識しながら日々を生き、戦うという点で他のどの職業とも異なってきます。
読み進むにしたがい、たいへん気が重くなってきました。
ほのかな憧れの対象であった武士が、華々しさや美しさを持っている反面、もの凄く深い因業を有しているように思え、全く別世界の住人に見えてきたのです。
律令時代から明治に至るまで、1000年近く培われてきた独特の精神世界では、私たちとは全く異なる考え方や文化があるのでしょう。
これからは、安易に「士業」などと口にしないようにします。
武士というのはそんなに軽いものではないということが、よく分かった一冊です。
織田・徳川同盟と王権
-明智光秀の乱をめぐって-
小林 正信 著
(岩田書店)
この著者の作品については、以前ここで紹介したことがあります。
桶狭間合戦に関するものでしたが、今回紹介する上記の本は、桶狭間合戦後の織田政権の発展と本能寺の変に向かう過程を考察したものです。
この本では、明智光秀の地位、織田政権による支配の構造、さらには足利幕府体制に対する緻密な分析がなされています。その上で、事件の動機を鋭く解明していきます。
先達の研究成果を紹介し、ときとして信用性の高い資料を用いた批判を行い、無理のない論理で本能寺事件への筋を展開しており、研究書でありながらつい惹き込まれてしまいます。
この本、2005年の出版です。私の勝手な感覚ですが、2000年を越えた辺りから、小説などでも本能寺事件における秀吉や細川藤孝の関与を描いた作品が出てきたように思います。
背景には、本能寺事件に対する研究の深化があったのでしょうか。
いつも思うのですが、過去の事実を証拠に基づいて正確に再現するのは大変難しいことです。どうしても一面的な再現になってしまったり、真相にまでたどり着けなかったり、となります。
ましてや400年以上昔の事件、しかも政治・軍事上の機密に関わる事件です。正確に再現できる方がおかしいのかもしれません。
ところで、この本では、織田信長の政権の方向性について、徳川家康との同盟が大きな影響を有していたことを指摘しています。ここにもまた、たいへん興味深い考察が加えられています。
関ヶ原合戦では織田家旧臣の大名はほぼ東軍に味方したこと、豊臣家を滅ぼした後に家康が太政大臣に就任して朝廷を封じたことなどを挙げ、徳川幕府の基本は織田信長の政権構想に基づいていると結論付けています。
これが正しいのかどうか私には分かりませんが、論拠をはっきりと示して話の筋道を立てているため、一定の説得力があります。
本能寺事件に関する研究は、まだまだ完成されたものではないようです。今後のさらなる深化を楽しみにしています。
信長の大戦略-桶狭間の戦いと想定外の創出
小林 正信
(里文出版)
いきなり知財トピックから外れてしまいました。
個人的に織田信長にたいへん興味があることから、研究書や小説などで信長やその時代について知るのが趣味となっています。
標記の本では、もともと歴史の研究者ではなかった著者が、社会人でありながら大学院にて研究を進め、桶狭間合戦について得られた結論が披露されています。
研究書なのですが、とにかく面白い。織田方と今川方だけでなく、当時の日本全体の状況をふまえた上で、桶狭間合戦に至るまでの信長の戦略をわかりやすく、しかも丁寧に検証しており、読む者を惹きつけます。
どういう戦略だったのかはここでは書きません。本書を読めばよく分かります。私がこの本の中で最も納得したのは、今川義元を敵としていたのは信長だけではなかったというところです。そして、これが義元の上洛につながっており、信長は充分な準備のもとでこれを待ち受け、今川軍を打ち破ったのではないかという説が展開されます。
それにしても、真実は一つであるはずなのに、桶狭間合戦についても様々な説があるのですね。450年以上も前のできごとですから、今さら真実を突きとめるのは困難というより無理なのでしょう。
まだ行ったことはないので、桶狭間古戦場にぜひとも行ってみたくなりました。