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こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
となりの革命農家
黒野 伸一 著
(廣済堂出版)
2015年出版の小説です。
私は、何人か好きな小説家があり、それらの小説家の著書を全て読もうとする傾向があります。
この作者も私の好きな小説家の一人です。
NHKでドラマ化された限界集落株式会社の作者です。
農家を舞台にした小説ではありますが、まるで経済小説を読んでいるかのような錯覚に陥ることがあります。
それは、農業という産業を「経営」するという視点から読み解き、そこに人間ドラマを散りばめて所定の結論に導いていくという書き方がされているからだと思っています。
そして、物語が進むに連れて論理的な展開があるのですね。
仮説→実行→失敗→検証→実行という流れがあり、なぜ失敗だったのか(なぜ成功したのか)を、技術の点から検証したり、経済原則の点から検証したり、読む者に実に説得的な物語の進められ方がなされているのです。
この作者の作品については、まだ全てを読んだわけではありません。
ただ、これまで読んだ他の物語と合わせると、作者のパターンのようなものが見えてきます。読者の支持を集めるだろうなという感じのパターンです。
そういうことをアレコレ一人で邪推するのもまた、小説を読む楽しみの一つです。
鬼神
矢野 隆 著
(中央公論新社)
久々の更新ですが、この頃はこれまで読んでこなかった新しい作家の作品を読み漁っています。
上記の本もその一つで、とても面白かったです。面白いし、歴史の作られ方というか事実の歪められ方がよく描かれています。
この著者の作品の特徴の一つとして、両者の正義というのが具体的に書かれているのです。
例えば上記の本では、源頼光とその家来達と、これに対する大江山に住む朱天とその仲間との戦の物語です。そして、朱天のほうは都の人間から酒呑童子という鬼としてみなされるようになります。
都の人間である源頼光も、大江山に住む朱天も、いずれも自己の生きる場所で自己の守るものを持って生きています。どちらが善でどちらが悪ということもありません。
善や悪というのは、後の人間(通常は戦いに勝った人間)が決めていくもので、あくまでそれは一方的な見方でしかないのだというのがよく分かります。
鬼が登場する物語や伝説も、冷静になって見てみると、結局は人間同士の利害の衝突の結果、正義になった側と「鬼」にされてしまった側ができ、そのような勝利者が正しいのだということを喧伝するための一つの方策であるということなのかもしれません。
ということは、鬼より怖いのはやはり人間?
あい 永遠に在り
高田 郁 著
(角川春樹事務所)
2013年に出版された、少し前の本です。
高田郁氏の作品は、本作が2作目です。初めて読んだのは「あきない世傳 金と銀」で、大阪天満界隈の商家で繰り広げられる物語でした。その本についても、後日ご紹介したいと思います。
さて、この本の主人公である「あい」は、幕末期から明治にかけて活躍した医師関寛斎の妻で、生涯を寛斎のために尽くして生きた人です。
主人公は、妻であり母でもある一人の女性であり、物語の中では、女性の視点からのものの考え方が丁寧に描かれています。
読んでいると、次はこういう展開になるか、とか、ここで主人公はこう考えるのだろうな、とか、つい自分の視点から見た先読みをしてしまうことがあります。
しかし、そのような先読みは男性のものの見方によるものであり、往々にして裏切られました。それがとても新鮮であり、まったく退屈することなく一気に読んでしまいました。
また、この物語には、あいと寛斎の清潔で清々しい生き方が描かれており、一貫して清らかな雰囲気が流れています。読む者の心に清々しさを残してくれます。
合戦ものでもなく、謀略やスリルがあるものでもありませんが、このような淡々としており、それでいて簡素な美しさのある物語も良いものだと思います。
このように思うのは、年をとったからかもしれません。
本所おけら長屋
畠山 健二
(PHP文芸文庫)
久々の更新となりました。ここ暫く仕事にかまけてしまい、このコラムの更新がすっかり疎かになってしまいました。
この間、外国出張が急に入ったり(入れたり)、急ぎの出願案件が入ったりと、おかげさまでやり甲斐のあるお仕事をさせていただくことができました。
さて、標記の本ですが、まったく初めての作者の作品です。このところ、書店では江戸期の人情ものが数多く出ており、面白そうだったので、軽い気持ちでチャレンジしてみました。
この作品、江戸の町中にある長屋の住人たちが引き起こす様々な事件をつづった物語です。
先ほど全ての話を読み終わりました。読後感は、面白かった、心がやや温かくなれた(もちろん、褒めております)という感じです。
江戸期の、しかも人情ものですので、合戦などはなく、斬り合いも少しばかりです。
ですので、そういうサムライものの面白さではなく、昔の日本を舞台にした、日本人の心の優しさが日々の生活の中からにじみ出てくるような面白さです。
先に述べたように、この頃、江戸や大阪の町を舞台にした、切った張ったの色合いが薄い作品で、面白いものが多く出てきているように思います。
この本もその一つなのですが、昔の人々の日々の生活にかなり近い場面設定のもとで、ドラマ性を出すことに成功しています。
こういうソフトな物語が人気を博すということは、現実社会ではその逆の状況があって、そのような現実社会で積もったストレスや消耗した心を潤してくれるからか、とも思ってしまいます。
日本の社会は、20年前と比べると、私のような者が見ている限りでも、大きく変わった気がします。どこが、とは敢えて申しませんが。
社会が変わっても、人の気持ち(特に年齢の高い人々の気持ち)は、そう大きく変わるものではありません。そうすると、変化してゆく社会の中で、それに合わせて生きることに疲れるのでしょう。私も若くはないので、それがよく分かります。
そんなとき、昔ながらの場面設定の中で、昔ながらの日本人の心や優しさが表現された作品を読むと、ホッとすることがあります。
ところでこの本、実はシリーズが続いているようです。正月休みはこれを読破しようと思います。
プリズンホテル
浅田 次郎 著
(集英社)
数多い著者の作品のうち、私が最も好きな本です。
いろんなブログなどで紹介されていますが、先週からBSジャパンでドラマが始まりましたので、この機会にここで紹介したいと思います。
内容についてはご自身で読んでいただくのが最も良いでしょう。
私がこの本に出会ったのは2006年の秋です。
なぜ覚えているのかというと、外国出張の際に携帯したのがこの本だったからです。
忘れもしません。関西国際空港内の書店で偶然見つけ、面白そうなので出張中の暇つぶしになればいいや、という程度の気持ちで買ったのです。
ところが、読み始めると物語の中に引き込まれてしまい、飛行機の中、バスの中、ホテル内、挙げ句にトイレの中まで持ち込んで読み耽っていました。
おかげで出張中は完全に寝不足でした。
この本、笑いあり、涙ありの感動作です。
このようにサラリと書いてしまうと、「ふーん、そう。」で終わってしまいますが、涙の場面では、それこそ鼻水を垂らしながら号泣するほどに泣かされますし、笑いの場面は腹筋が痛くなるほど笑わされます。
著者が描く数々の登場人物達の強さや優しさ、そして純粋な心が、読む者の心にストレートに訴えかけてくるのです。
ところで、この本は第1巻から第4巻まであり、第1巻が夏、第2巻が秋、というように巻ごとに季節が移り変わっていきます。
なぜ第1巻が夏なのか?
それは、最終巻である第4巻を春にするためです。
第4巻では、物語の中で桜が実に美しく描かれています。そして、冬を経てきた桜の蕾が一斉に開花するように、登場人物達の人生が大きく花開いて物語は大団円を迎えます。
元気をなくしたときやつらいとき、私はこの本を読み返してきました。
そして、幾度となく力をいただいてきました。
私にとっては、そういう本なのです。
偶然にもこの本に出会えた自分は幸せだと本気で思っています。