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こんにちは、弁理士の宮﨑浩充です。
火天の城
山本兼一
(文藝春秋)
安土桃山時代、特に織田信長に関する小説が好きで、以前からよく読んでいます。
信長を主人公とする物語はもちろんですが、信長が登場人物の一人として登場するもの、果ては信長の子らを主人公とする物語まで手を広げて読んでいます。
標記の小説は、安土城を建てた大工の棟梁を務めた岡部又右衛門を主人公とする物語です。元々は熱田の宮大工であった又右衛門は、あるきっかけで織田信長に専従する番匠となり、織田軍団に付いて征服した地域や戦場に赴き、砦や櫓、城や兵士の住居を作るようになっていきます。
京都を制圧した信長は、京都へのアクセスに便利で、東国からの物資が通る中山道をおさえることができる安土山に城を築くことを決めます。
信長によって安土城建築の総棟梁を拝命した又右衛門は、自分の配下である岡部一門のほか、協力を受ける京や奈良の棟梁達を束ね、安土城の普請にかかることになりました。
これまでの築城技術では到底実現できないような信長からの難しい要求を突き付けられた又右衛門らは、デザイン、材料、工法などあらゆる観点から悩み、考え、一つ一つの課題を解決しながら安土城を作っていきます。
又右衛門の目を通じて物語に登場する信長は、これまで多くの物語中で描かれてきた信長像を概ね踏襲するキャラクターであり、天下統一を志す専制君主です。
信長の命令は絶対であり、家来たちがこれを拒否することはあり得ません。
他方、専従するといっても又右衛門は武士ではなく、信長の家来ではありません。ときとして又右衛門は、築城の専門家として耳の痛い意見を、躊躇することなく信長に対して述べることもあります。
信長からの厳しい要求に対しては、考えに考えた上で、又右衛門は覚悟を持ってその要求を受け、いったん受けた以上、失敗の全責任を負うつもりで命を懸けて取り組みます。又右衛門の命を懸けた壮絶な仕事ぶりが、読者を物語に引き込んでいきます。
城の外装が完成した後のある夜、安土を激しい雷鳴が襲った。そのとき、作事場で夜通し番をする又右衛門が、落雷を心配する息子の以俊に対して言った、忘れられないセリフがあります。
―以下、引用―
「心配なのはよくわかる。建てた者が、たしかに建物の弱みを一番よく知っておる。だがな、建ててしもうた後では、もはやどうにもならぬ」
「それはそうじゃが」
「ならば忘れろ、ここまで、できる限りのことをした。天下一の柱を見つけ、天下一の腕で組み上げた。これ以上できることはなにもない。この天主は、わしそのものだ。倒れるなら、わしもいっしょに倒れる。それだけのことだ」
父親の言葉が、やけにさっぱり潔くひびいた。
「しかし、気になることはないのか」
「あるとも。大ありだ。若いころはことにそうだった。お前の百倍も気に病んでおったとも。気になって眠れなんだこと、夜中に見に行ったこともたびたびじゃ。だが、建ててしまったものは、どうにもならぬ。そのことに気づいてから、わしは目の前の仕事でけっして手を抜かぬようにした。大工にできるのはそれだけだ。それ以外になすべきことはない」
そのとおりだと思った。何の異論もなかったので、黙って父の言葉を噛みしめた。
―引用終わり―
このような崇高な意識を持って仕事をする職人の言葉に、私がコメントできることは何もありません。
(余談)
先日、出張のついでに本能寺に立ち寄り、寶物館も見学してきました。
現在の本能寺は、信長公在世当時とは異なる場所に立てられており、当時の場所については、いくつか説があるようです。
未だ多くの謎に包まれた本能寺の変ですが、これからも少しずつ当時のことを知りたいと思っています。